俺は、遊園地の一件の後、すぐにある人と二人きりで会う約束をしていた。

どうしても、会わなきゃいけない。

でもその人と会う場所を決めるのには少し困った。

込み入った、出来れば人に聞かれたくないような話をするにも拘らず、

相手は女の子だし、実際に会うのはまだこれが二回目だから。

いきなり俺の家に招く・・・のは問題があると思うし、かといって、相手の家にずかずか上がりこむのも・・・

電話口で素直にその旨を伝えると、その女の子、絵里ちゃんは少しも迷わずにこう言った。

「古谷くんの家でいいじゃない。あなたの家の最寄り駅で待ち合わせね」

何を躊躇してるの?と言わんばかりの当たり前の口調だった。

そして今、俺はあの子を待っている。


「あら、十分くらい時間より早く来たのに・・・
もっとルーズなイメージだったわ、古谷くんて」

コツコツとブーツを鳴らして近付いてくる絵里ちゃん。

勿論、そう言われても仕方ない醜態を絵里ちゃんには晒してばかりだったから、

反論も出来ずに苦笑してしまう。

「あはは・・・絵里ちゃんの怖さはよーく聞いてるからね」

そういう絵里ちゃんは、俺のイメージに違わず時間に正確で、心苦しくなる。

いい人・・・なんだよね。本当に。

だからこそ、俺の考えてる通りだとしたら・・・気が、重かった。

「その呼び方、気色悪いからやめてって・・・・・・さむっ。
もういいわよ。早く古谷くんちに連れてってよ。勿論暖房は効かせてあるんでしょ?」

今日は寒いだけでなく風まで強く、冷たい。

一陣の風に、絵里ちゃんと俺は揃って身を震わせた。

「当然だよっ」

なんて胸を聳やかしたものの、それは寒いのが嫌いな俺としては当然のことなんだよね。

「あら、そんな風に姿勢を正すとわかるけど・・・」

しんしんと絵里ちゃんの視線を感じて、俺は思わず縮こまる。

「な、なに?」

「やっぱり太り過ぎよ、古谷くん」

「うぐっ!」

女の子に直球でその言葉を貰うことは中々なかったから、俺は思わず後ずさった。

話に聞く以上、なんだな、絵里ちゃんは・・・














実を言うと、女の子を部屋に入れたのは生まれて初めてだった。

茜ちゃんとは、そういう風になる前に・・・俺から離れてしまったし。

だから俺はどぎまぎしていたけど、絵里ちゃんは至って平然としていた。

慣れているのかも知れない。

その落差に、俺は一人密かに赤面する。

「小奇麗ね」

ブーツを脱ぎながら俺の部屋を見て、短い感想を言う絵里ちゃん。

「まあ、女の子を呼ぶからには・・・ねえ」

”初めてだし”、なんてわざわざ言わなかったけど、もしかしたら絵里ちゃんには解かっているかも知れない。

それくらい鋭い人なのは、まーくんほど付き合いが長くないとはいえ俺にも、何となく解かっていた。

椅子に腰掛けながら、絵里ちゃんは視線をこっちに投げ掛けた。

「で、なんでわざわざ二人で会いたいなんて?
・・・なんて。あなたと私の共通の話題、なんて言ったら、彼のことしかないか」

”彼”、と呼ぶ絵里ちゃんの口振りは親しみに満ちていて、俺の予感を更に確信へと向かわせた。

俺は、やっぱり気が重たくなる。

「色々、迷惑掛けちゃったから。俺のしたことで。
その、お礼が言いたくて――」

「そんなことじゃないでしょ?本筋は。
二人で話したいって言うんだから。さっさと言っちゃいなさいよ、じれったい」

うん、下手な気遣いも、誤魔化しも、全く意味がない。

気持ちの良い人だ。・・・まーくんの、言っていた通り。

俺も、真っ直ぐに話さなければならない。

「・・・お礼を言いたいのは本当だよ。でも、俺が考えてることがもしあってるなら・・・
本当に、言葉に尽くせないほど、お礼と、謝罪を」

「なに?古谷くんが考えてることって」

「・・・好き、なんじゃないかなって」

誰が、誰を、或いは何を。

それを確認することもなく、絵里ちゃんは俺の言いたいことを理解してくれたようだ。

絵里ちゃんは・・・聡い。怖いくらいだ。

「ふふ・・・鋭いじゃない。本当、イメージとズレてるわ、あなた。
・・・野木くんとは、大違い」

絵里ちゃんは両手を上げて、言った。

「やっぱり、まーくんのこと・・・」

その先は、絵里ちゃんが手で制した。

「皮肉なもんよねえ・・・本人はあんなに鈍いのに、あなたに悟られるなんて。
どうしてそう思ったの?」

そう問われれば、あの時のことが甦る。

絵里ちゃんに初めて会った時、まーくんを倒れさせてしまったあの時。

彼女の、強い怒りを込めた瞳と共に叩き込まれた、一撃を。

「平手じゃなくて、グーパンチなんだもんな、絵里ちゃんは」

思い出すように、俺は左頬を擦る。

あの時は気が動転していたものの、

今思えば、あの目・・・本当に大切なものを傷付けられなきゃ、あんな目は出来ない。

あんなに強く怒りを向けられたのは、初めてのことだった。

それからも思うところはあったものの、

俺の確信に近い思いは、全てあの時の出来事から直結していたような気がする。

「・・・ちょうど、あの時なのよ。私が自分の気持ちに気付いたのは。
唯の庇護欲だと思ってた、それまでは。でも、いつの間にか変わっちゃってたのね」

遠くを透かし見るような、そんな視線で絵里ちゃんは言う。

「それなのに、それからもずっと俺たちを助けてくれてた・・・上手くいくように」

「勘違いしないでよ。私は、野木くんがそうしたいと思うことを助けてただけよ」

どうして、そこまで出来るの?

俺が言おうとして飲み込んだ言葉を、やっぱり絵里ちゃんは察した。

「勇気もなければ、素直でもないのよ、私は。
野木くんに偉そうなことを垂れておきながら、自分でも笑えるわ。
あんなに傷付いても、直向にあなたしか見えてない野木くんの目に、
私が映る筈もない事実を、直視したくなかった。それに・・・」

不自然なところで言葉に詰まる絵里ちゃん。

その続きも待たずに、俺は言う。

「でも、そしたら俺たちの仲を助けるようなことまで、出来ないよ!
普通・・・」

あなたは知らないでしょうけど、と前置きして、絵里ちゃんは言った。

「あなたが居ないところで見せる彼の表情・・・本当に苦しそうなのよ。
自分の想いに気付いてからは、更に野木くんのその表情を見るのが、辛くなった。
それが見たくなかった、それだけよ」

その時、絵里ちゃんの表情は紛れもなく辛そうだった。

”それだけ”、で済むわけない。

そんな簡単な気持ちで、あんなに人の為に怒れない。

こんなに・・・辛そうな表情は出来ない。

「古谷くんが泣くところじゃ、ないわよ」

「え?・・・あれ?」

言われて、俺は涙を流していることに気付く。

また、俺が泣くべきじゃないところで、俺は泣いている。

「ご、ゴメン・・・ちょっと、なんか・・・」

慌てふためく俺に、絵里ちゃんは深く溜息を吐く。

「・・・あなたといい、野木くんといい・・・馬鹿ね」

「え?」

「昨日、野木くん、嬉々として電話してきたわ。
”大樹と上手くいきそうだ、許斐さんのお陰だよ、ありがとう”、って。
・・・本当、馬鹿・・・」

俺は、両手で頭を押さえた。

絵里ちゃんの言うとおり、まーくんはいつも自分に向けられた好意には鈍かった。

ゴメン、そう謝ろうとした時、俺は思わず口を開けたまま呆ける。

「・・・馬鹿だけど・・・・・・
人が良いわよ・・・厭になるくらい」

泣いてる。

こんな方法で感情の吐露をするような人とは、およそ無縁そうな絵里ちゃんが。

決して表情を崩すこともないのに、視線を遠くに逸らしたままその頬に涙の筋をひかせている。

堪らなく、胸が痛んだ。

もしかしたら、俺はこの時の絵里ちゃんのような表情を、まーくんにもさせていたのかも知れない。

そして、そのまーくんを見詰める絵里ちゃんは、どんな気持ちだったんだろう。

涙の筋を取り出したハンカチで拭くと、声の調子を乱すことなく続けた。

「私、告白されたことあるのよ。同性の女の子に」

「ええ!?」

勿論、絵里ちゃんは俺の驚声にも調子を乱さずに。

「野木くんから聞いてるでしょ。私の父の仕事。
その仕事の手伝いで、何人か関わったことがあるのよ、女の子の同性愛者に」

そこまでは、まーくんづてに聞いたことはある。

でも、まさか・・・

「その中の、誰かに?」

「そう・・・これは、父にも、野木くんにも言ってないんだけどね」

絵里ちゃんは、続ける。

「私は、同性愛ってものに理解があるつもりだった。
でも、それが自分に向けられた時・・・気付いたのよ。
尤もらしいことを言いながら断ってる自分の中に、確かに嫌悪感が生まれてたことに」

「絵里ちゃん・・・」

俺は、まーくんに対して冷たい態度を取っていた時期の自分を思い出す。

男の俺に友情以上のものを向けてくるまーくんに対して俺が持っていたもの、

それは絵里ちゃんが感じたものとそう違わないものなのかも知れない。

まーくんは未だに苦しんでいた。それを俺の為にと抑えられなかった自分に。

上手く、表現出来ない。

だけど・・・だけど。

どっちも苦しいんだ。想う方も、想われる方も。

そこに、どっちが悪いとか、そういうものを求めるのは、何か違う気がする。

少なくとも、絵里ちゃんは理解しようとしていた。自分と異なるその誰かを。

「だから、野木くんに告白しても、同じ様に嫌悪感を抱かれたらって考えて・・・っていうのが、一番の理由かも知れない。
・・・結局、私に勇気が足りないのよ。
だから、助けるようなことして自分を慰めてる」

「それでもさ、俺たち・・・ううん、まーくんは、絵里ちゃんに救われた、そう思ってるよ」

「・・・え」

絵里ちゃんは、遠くにしていた目線を、俺の方へと向けた。

「ありがとう、絵里ちゃん」

俺の言葉を聞いて、絵里ちゃんは目を丸めた。

かと思うと、自分の前髪をくしゃっと、握って、笑い始める。

「私に自信持たせて、いいの?
それって、私が野木くんにアタックし始めるかも知れないってことよ?」

・・・え?あっ!

「ダメっ!ダメダメダメ!!そりゃ、絵里ちゃんにはお世話になったけど、でも・・・!」

絵里ちゃんにその気になられたら、もしかしたらまーくんでも・・・

そんなことも考えられなかった俺は、絵里ちゃんの一言に動揺してしまう。

慌てる俺を見て、絵里ちゃんは更に面白そうに笑った。

「冗談よ。・・・昨日の電話で、あんな鈍い奴、とっくに幻滅したから」

・・・それは、優しい嘘だ、と思った。

まだ目元に堪ってる涙は、きっと笑い涙なんかじゃない。

でも、やっとのことで搾り出しただろうその嘘を、俺は否定することは出来なかった。

「・・・ありがと、ね。絵里ちゃん・・・」

もう一度お礼を言うと、”何のお礼か解からないわね”、と絵里ちゃんは肩をすかした。

「念の為に言っておくけどね・・・」

ドスの効いた声で、俺の方へと身を乗り出す絵里ちゃん。

「このことは、まーくんには秘密・・・だよね」

「そう、秘密よ。・・・絶対にね」

哀しげな瞳で、それでも強い、はっきりした口調で彼女は言う。

ここに一つ、想いがあるのに。

それは伝わることのない純粋な好意。

「・・・俺・・・絵里ちゃんのこと、尊敬していい?」

思わず漏れた俺の言葉を、絵里ちゃんは鼻で笑い飛ばす。

「私は古谷くんみたいなのはお断りね」

そんな絵里ちゃんの目はもう遠くを見ていて。

それは、本当に、何処かを、何かを見通してるような、そんな印象さえ覚える横顔だった。

俺は、この時の絵里ちゃんの表情を忘れることは、きっと一生ないだろうな・・・

そんな途方もないことを、思った。

本当に人を愛しんだ時、女の子はきっと、彼女のような表情が出来る。

俺なんかに、彼女のその純粋で強い想いに応え得る方法があるとしたら・・・

まーくんを、泣かせないことくらいしかない。

俺が、二度と悲しませないように。

「良く、わかってるじゃない」

薄く笑みを漏らす絵里ちゃんは、そりゃあ格好良くて。

俺は、本人に断られて、まだその舌の根も乾かないうちなのに。

この人を尊敬しよう、この人のようになりたい。

そう、心に決めた。





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