確認もせずに無防備にドアを開け放つと、その先には。
「・・・え、・・・ひろき・・・・・・?」
「!!・・・ま、まーくん・・・」
アパートの薄暗い照明じゃ、はっきりしない。
でも、それでもすぐに解かってしまった。
大樹。
デカい身体も、眠そうな眼も、ぼさぼさとうざったい髪型も、とぼけた喋り方も。
懐かしささえ覚えない。
あって当然だった、もの。
「大樹・・・なんだ。大樹・・・・・・」
手を伸ばせば触れられる位置に。
どうして、こんなにも大樹は、そこに存在していられる。
今、手を伸ばせば、”それ”は本当に触れられるの?
「・・・・・・?まーくん・・・?」
何を言ったらいいか、どうしたらいいか。
今まで大樹が居なかった時間に考えなかったことがない。
いっぱい考えた。でも、その全部が違う気がした。
なのにいざ本人が目の前に出てくると、その全てが押し寄せてきた。
「・・・あっ・・・?」
異変を自覚した時には、もう視界は反転していた。
暗く沈む意識の隅で、自分が倒れる鈍い音を、遠くに聞いたような気がした――
二週間、大樹と会えないことがあった。
高三の夏休み、あいつが実家の山梨の方へと帰って。
その時にびっくりした。
俺は、大樹が居ないと駄目なんだっていうことに、気付いてしまった。
馬鹿みたいに不安だった。
本当にどうしようもなく怯えた。
このまま向こうで大樹に好きな人が出来たりしたら。
何かあって、このまま大樹が帰って来なくなったりしたら。
一人で不安要素ばっかり考え出して、
メールをしても、電話をしても、全然安心出来なかった。
十日ぐらい経った時、ついに大樹との電話口で泣いてしまった。
他愛ない話をしていた時に、急に。
その時の大樹の慌てぶりも覚えてるけど、察してくれないことに苛付いたのも覚えてる。
”どうしたの!?”
そんなことを言われただけで、俺は怒ってしまった。
”お前、寂しくないのかよ、俺だけこんなんになって、馬鹿みたいだ!”って。
・・・今なら解かる。
怒ったように見せて、虚勢を張ってただけだ。
大樹がなんとも思ってないかも知れないってことが、どうしても怖かった。
「・・・・・・・・・また、ここ・・・」
まだ少しくらくらする頭を軽く押さえて、身体を起こす。
病院、許斐さんのお父さんの・・・
「おはよう、ってまだ夜だけどね」
前と同じ様に、脇で許斐さんがパイプ椅子に座っていた。
「失神した時に、軽く頭打ったみたいよ。あれから三時間くらい、寝てたの」
壁にかけてある時計は、十一時を回ったところだった。
「・・・俺、気絶?どうして・・・」
上手く回らない頭をフル回転させて、思い至る。
「ひ、ひろき・・・大樹が来た・・・!!」
「駄目よ、今日は止しておきなさい」
ベッドから飛び出そうとする俺を、許斐さんが制する。
「な、なんで邪魔すんだよ!」
「別に放してもいいけど、その後何処に行くつもり?」
「・・・あ・・・」
大樹の居る所なんて、当然解からない。
ベッドへと戻る俺。
「それでいいの、大人しくしててね」
それでも、心臓が早鐘を打っていた。
「大樹、居たでしょ?俺んちに、玄関に!デカイ奴だよ!居たよね?
ゆ、夢とかじゃないでしょ!?ねえ!」
そうだ、確かに居た。
声だって聞いた!
「落ち着いて・・・」
「何処に行ったの、会ったたんでしょ!教えて・・・――」
「落ち着いてってば!」
張った声が響く。
許斐さんが大声をあげたところなんて、初めて見た。
その衝撃だけで、俺は黙り込んでしまう。
「・・・また気失っちゃうわよ、興奮すると」
「う、うん・・・ごめん・・・」
こほん、と咳を払って座り直す許斐さん。
「古谷大樹くんには、今日は帰ってもらったわ」
「なんで!」
愕然とする。
もう、これでまた二度と会えなくなるかも知れないのに!
「今の野木くんの様子じゃ、私の判断は間違ってなかったと思うな」
それでも、俺がどうなっても・・・
「大樹にだけは、もう一度だけでも、話さなきゃいけなかったのに・・・!」
「ちゃんと連絡先訊いたし、今住んでる住所も訊いておいたから」
そんなの、何が当てになるっていうんだ。
俺は、大樹がいない間で、それだけは厭というほど学んだんだ。
「じゃあ、それ、教えて」
「駄目よ、今の野木くんじゃ、どうなるか解からないじゃない」
「じゃあいつ教えてくれるんだよ!」
歯痒さに自然と声が大きくなっていく。
「今日は駄目。大丈夫だって思ったら、教える」
冗談じゃなかった。
俺は、一秒でも早く、あいつに会わなきゃいけないのに。
それくらい、大変なことなのに、許斐さんには解かんないのか!?
「そんなの・・・――!!」
「私は、野木くんの身を思って言ってるのよ」
「!」
口調に反して、許斐さんの目は、優しかった。
俺は、それ以上何も言えなくなってしまった。
勝手なのは、俺・・・か。
少しの沈黙、そして許斐さんが口を開く。
「悪いけど、今日はここの個室使えないのよ。
送るから、今日は家に帰ってもらえる?
あの男と会わない限り、また失神するようなことはない筈だから」
「うん、もう何ともないから、送ってくれなくても平気」
あの男、と大樹のことを指す許斐さんの口調には棘があって、気になったけど。
ここまで運んで貰って、更にこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかなかった。
許斐精神病院とうちの距離は存外近く、徒歩で三十分も掛からない。
「じゃあ、帰るね、今日は色々・・・ごめん」
「謝ることじゃないわよ。・・・あ、野木くん」
ドアノブに手を掛けたところで、呼び止められる。
「何?」
「・・・・・・ご飯、美味しかったわ。言い忘れてたけど」
「!・・・お、お粗末さま」
まさか許斐さんからお褒めの言葉を頂けるとは思わなかった。
別れ際に言うところが許斐さんらしくて。
俺は微苦笑した。
帰り道。
許斐さんにはああ言ったけど、一人になった瞬間、厭でも思考が追ってきた。
夢じゃなくて、本当に大樹が来た。
何の為に?
その答えの可能性を、幾通りに考えてみても、少しも良い風に捉えられなかった。
すっかり常習化してしまった、マイナス思考。
また会えるのか・・・
いや、会わなきゃいけない。
確かめなきゃいけないこと、訊かなきゃいけないこと、山ほどある。
あれだけ焦がれた大樹・・・
煙みたいに消えてしまって、もう二度と掴めないと思った、大樹・・・
怖い。怖いけど・・・もうすぐ会える。
もうすぐ・・・
今度こそ、絶対に。
夜の街は静かで、それは思索を促し、時間が早送りされたかのようにあっという間に俺のアパートへと着く。
何処をどう帰ってきたかも殆ど覚えてないくらい、物思いに耽っていた。
使いすぎたせいか、それとも打ったせいか、少し頭が痛む。
早く横になりたい。
「・・・?」
誰か、居る。
俺の部屋の前に、座ってる。
・・・・・・・・・!!
あの人影、間違いない・・・!!
「大樹・・・!」
「・・・まーくん」
俺の部屋の戸を背に丸まって座る大樹。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
何も、言えない。
目が合ったまま、喋れない。
どうするかなんて、ついさっきまであんなに考えて帰ってきたのに。
・・・・・・!
大樹、震えてる?
「ずっと、座って待ってたの?」
それは、意識する前に、出た言葉だった。
「・・・うん」
鍵は、開いてる・・・
「待つんなら、中でだって・・・」
「あの女の子が、まーく・・・真幸くんが、ずっと俺のこと待ってたって言ってたから。色んなところで、ずっと・・・
こんなんで解かった気になるつもりはないけど・・・で、でも・・・うっ・・・」
ぼたぼたと、大きな涙を流し始める大樹。
不思議に、それが俺を落ち着かせた。
真幸と言い直されてしまったのは、哀しかったけれど。
「中、入ろうよ。風邪、ひいちゃうから」
「・・・おれ、おれが泣く立場じゃないのに・・・ごめ・・・すぐ、に、やめるから・・・」
何を言ったらいいか、解からない。
本当に、何を言ったらいいか・・・